10
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
   

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

失敗の効用(その3)

シリーズ、失敗の効用。
先日の上村松園が書いた文章に失敗についての考察があったため、ご紹介。

棲霞軒雑記(抜粋)
上村松園

色や線にふとしたことから大へんな失敗を起こすことがある。そういう時は御飯をいただくことすら忘れて一日も二日も考え込むことがある。
失敗をごまかそうとするのではない。この失敗を如何にして成功の道へ転換させようかと工夫するのである。
研究する。ああでもない、こうでもないと空に線を描き色を描いてそれを生かそうとする。
ふとこれが新しい色になり、新しい線、そして新しい構図にまで発展してくれることがしばしばある。
失敗は成功のもとと言う。古人の残した言葉は不動である。

誤ったために、その失敗を工夫して生かし思わぬ佳作が出来上ることがある。そのような時はまた格別に嬉しい。それは画境に一進展の兆しがある場合が多いのである。

なんとかしてそこを補おうと工夫しながら眠りに落ちる。
そのような時には夢の中にまで、その工夫がのびてゆく。
松園という字がすうッと伸びて梅の一枝になっていたりする。
夢の中で失敗の箇所に対する暗示を得ることもある。
しかし目がさめてからその絵を見直すと、実際の絵と全然別の失敗箇所であったりしてがっかりすることもある。

自分の芸術に身も心も打ち込める人は幸福である。
そのような人にのみ芸術の神は「成功」の二字を贈るのではなかろうかと思う。



どうですか。
芸術の本来の楽しみは形や音に表された瞬間よりもその前の頭の中でイメージが生まれてくる瞬間だったりします。
そのようなイメージのひらめきは、簡単に降りてきません。
失敗を繰り返し、苦悩の末に現れる上、時間も場所も選べないのです。
だからこそ起きてても寝てても考え続けることになります。
失敗を続けたうえで得られるひらめき、それを「創造性」と呼ぶのではないかと思います。
以前のブログ創造性のモトで読んだ本にもありましたが、

「創造性の特徴」について。

①どの問題が結果を生みそうか、取り組む価値があるか感知する能力
②選び出した問題を解けるという自信。
③他の人があきらめるような場面でもやり続ける不屈の粘り強さ

そのなかで、一番大事なのは③の持続性

というのを思い出しました。
持続性が必要なのは、やはり失敗の確率の方が高いからだと思います。
その数知れない失敗を「楽しい」と思うかが大事なんですね。

松園も

画室に在るということは一日中で一番たのしい心から嬉しい時間である。

と書いていました。


ここからはマニアックな話です。
お好きな方のみお読みください。


最近、創造性という言葉がもてはやされている時代ですが、一体創造性ってなに?というと
「お金に替わるアイデア」
という意味だったりします。
本当の創造と言うのは芸術家、研究者、哲学者、スポーツ選手などが一つの分野において研鑽・思考・実験を続け、ある日頭の中で「ひらめき」という瞬間を迎える事ではないのかな、と思います。
ただ、そこへ至る時間は長いのに対して、生まれるひらめきの大きさは微小なものから世界を変えるものまでの差がある気がします。

たとえば大きな例で言うとアルキメデスとニュートン。
ギリシア人のヒエロン2世が金細工師に金を渡し、純金の王冠を作らせた。ところが、金細工師は金に混ぜ物をし、王から預かった金の一部を盗んだ、という噂が広まった。そこで、ヒエロンはアルキメデスに、王冠を壊さずに混ぜ物がしてあるかどうか調べるように命じた。アルキメデスは困り果てたが、ある日、風呂に入ったところ、水が湯船からあふれるのを見て、浴場から飛び出たアルキメデスは「ユーリカ!ユーリカ!(わかった!わかった!)と言って裸で走り回った。その瞬間、アルキメデスの原理のヒントを発見したと言われる。

アルキメデスとその後の学者たちは、この法則が自然科学的な法則であるとは気付かず、数学的な原理であると考えた。そのため、次の科学法則であるケプラーの法則が発見されるまでは、1800年もの時間がかかった。
そしてケプラーの法則の発見が「リンゴの木からリンゴが落ちるのを見て思いついた」物理学の根幹となる万有引力の法則の発見へとつながっていきます。

結局、何かのテーマ、そのことについて日ごろから考えていなければお風呂に入ってもリンゴが落ちるのを見ても何も思いついたりはしませんよね。
それについてはノーベル賞の湯川さんの逸話にも表れています。

■激しい台風に襲われた一夜、別荘の寝床で「中間子理論」を構築した

――昭和9年9月、室戸台風が四国を直撃した夜、新進気鋭の物理学者だった湯川秀樹は、神戸・六甲山にある別荘にいた。激しい嵐の音に寝つかれないまま寝床であれこれ考えているうちに、ハッとひらめくものがあった。それまでボンヤリと頭の中にあったテーマが、突然はっきりした輪郭をもって浮かんできたのである。これが、のちにノーベル物理学賞を受賞する中間子理論の誕生の瞬間であった。湯川自身、そのときのことを「うん、あの台風が間接的にきいとるね。頭にグワッ、グワッときた」と話している。
天才たちもみな苦悩の果てに「ひらめき」に辿り着くより

そして最後にもっとマニアックなおはなし。
ひらめきは脳の中でどのように起こるのか?
については「ひらめき」と「直感」の違いを読んでいただくと面白いです!
スポンサーサイト

失敗の効用(その2)

次こそは!と書いてしまったばかりに、書きたいことのテーマがあれどまとめる時間がなくてずいぶんと更新をさぼっておりました。
そんな中、最近読んでいる本に以前の「間違い(失敗)の効用。」に関連する文章がありました。


邪悪なものの鎮め方 (木星叢書)邪悪なものの鎮め方 (木星叢書)
(2010/01/23)
内田 樹

商品詳細を見る


内田樹さんのブログをもとに本にしたもので一つずつ短いエッセー集のような本なのです。
一つずつ短くてどれも面白いのですが、今回注目するのはタイトルがなんと「失敗の効用」。
違ったアプローチでの失敗についての考察です。

「失敗の効用」以下抜粋。

下川正謡会の本番が終わる。
(中略)
われわれは年に一度この舞囃子の舞台というものがあって、そのストレスで意に穴があくような思いを一年中している(ストレスが消えるのは本番の後の一週間ほどだけである)。そのストレスがあまりに苦しいので、その他のストレスフルな出来事が(よく考えたらたくさんある)どれも「舞囃子の苦しみに比べたら、屁のカッパ」に思えてしまうのである。
(中略)
昔の男たちは「お稽古ごと」をよくした。
夏目漱石や高浜虚子は宝生流の謡を稽古していた。山縣有朋は井上通泰に短歌の指導を受けた。内田百閒は宮城道雄に就いて箏を弾じた。そのほか明治大正の紳士たちは囲碁将棋から、漢詩俳諧、義太夫新内などなど、実にさまざまなお稽古ごとに励んだものである。
(中略)
なぜか。
私はその理由が少しわかりかけた気がする。
それは「本務」ですぐれたパフォーマンスを上げるためには、「本務でないところで、失敗を重ね、叱責され、自分の未熟を骨身にしみるまで味わう経験」を積むことがきわめて有用だということが知られていたからである。

本業以外のところでは、どれほどカラフルな失敗をしても、誰も何も咎めない。そして、まことに玄妙なことであるが、私たちが「失敗する」という場合、それは事業に失敗する場合も、研究に失敗する場合も、結婚生活に失敗する場合も、「失敗するパターン」には同一性がある、ということである。
(中略)
素人がお稽古することの目的は、驚かれるかもしれないが、その技芸そのものに上達することではない。
私たち「素人」がお稽古事において目指している「できるだけ多彩で多様な失敗を経験することを通じて、おのれの未熟と不能さの構造について学ぶ」ことである。




「失敗」はその人の固有の「失敗パターン」があり、お稽古事など(失敗してもペナルティがない条件下)の、「きわめて失敗する確率の高い企て」を通して「自分の失敗パターン」の情報をできるかぎり持っておくべきだ、という意見には「なるほど!」と思いました。

教育も生き方や考え方も「有効であるか」「お金になるか」ということに焦点が行きがちな現代の価値基準からいくと、お稽古事の必要性は低くなってきている気がしますが、音楽を始めスポーツ、舞踏、囲碁や将棋、茶道や華道などなど昔から続く「お稽古事」の意味は、「いざというときに現代を生き抜く力」というようなものが含まれている気がします。

それにしても失敗して「失敗を知る」ことで、人はたくさんのことを学ぶ、ということに関していえば、以前の「テスト効果(生徒は間違いを犯さない学習より、間違わざるをえない状況下でより学ぶ)」と同じ事ですよね。
失敗を恐れてはいけない、とさらに考える機会となりました。

でも、

玄人は失敗すれば職を失い、路頭に迷う可能性があるけれど、素人はそれがない。
私たち素人が玄人に対して持っている「アドバンテージ」はまさにそれだけなのである。

とあるので、「どこで失敗するか」をコントロールする技術は必要かもしれません。

間違い(失敗)の効用。

ご無沙汰しております(^_^;)
一気にテーマを書こうと思うと
「まだまとまってないしな~」
「また本を読みなおさないといけないし…」
とかなんとかで滞ってしまうので今回は1テーマを。
終わったかと思った失敗について考えるの第2弾です。

成功と失敗の脳科学 (別冊日経サイエンス 184)成功と失敗の脳科学 (別冊日経サイエンス 184)
(2012/05/22)
日経サイエンス編集部

商品詳細を見る


失敗とはそもそも「悪」なのか。
失敗とは失敗としてしか存在できないのか?
失敗を通して学ぶ、と聞くけれど、やはり失敗せずに学んだ方が良いのか?

という失敗のマイナスイメージを覆すのが今回のテーマです。


間違いや失敗を犯すことを人は恐れます。
転ばぬ先の杖、それこそが賢い人のイメージですかね。

でも、間違いに効用があったとしたら?
失敗は成功のもと、が脳科学で証明されたとしたら?
失敗のイメージが変わるのではないでしょうか。

多くの教育現場で行われている「間違えない(ための)学習」。
しかし、生徒は間違いを犯さない学習より、間違わざるをえない状況下でより学ぶのです。
学習する前に間違えるに決まっているような難しいテストを受けた人は、テストを受けなかった人と比べ、学習した後の成績は良いのだそうです。

学習を受ける前にテストを受ける学生は、その内容を、事前にテストを受けない学生よりより深く、かつ長く覚えるため、「テスト効果」と呼ばれています。
テストを実際受けなくても、学習する前に学習するテーマを事前に自らに問うように仕向け、その後問題を再び答え、間違えたら再び同じ答えを答えようとしてみると課題を終えて長い時間がたっても記憶を呼び起こすことが可能になるそうです。

音楽に関して言えば、失敗を恐れ、間違えないようにすることを目標とした演奏が時々あります。
そんな時、この「まずは失敗してみる」という練習方法は新しい上達法かもしれません。
特に曲のテンポなど、「できるようになってからできる範囲でテンポを上げる」より、間違えることが前提で「曲の指定しているテンポ」でやってみて、その後修正しつつ練習をしたほうが、最終的に確実なテクニックとして定着するのかもしれません。


日本人は特に失敗を恐れる人種だなぁと思います。
私もドイツ語を学ぶ過程で
「文法や単語が間違っているかも…」
と思うとうまく話せなかったり、話すのをやめてしまっていました。
一緒に勉強していたイタリア人は間違いなんて何にも気にせず「言いたいこと」をドイツ語でどんどん話していました。
やはりそういう人の方が上達がとても早かったのです。
学習過程での間違いや失敗は恐れるものではない、そういう意識から始めることが大事なんではないでしょうか。

大惨事はなぜ起こるのか。

さて、またまたマニアックなお話です。
需要は果たしてあるのか不安になりますが、読書したものを自分で反芻するためにも書いておきましょう。

心が折れかけておりますのでアンケート代わりに
「私はこのマニアックさを楽しんでるぞ!」
と言う方、今回だけで良いので是非拍手を押していってください~。
(どなたが拍手をしてくれたかとかわかりませんので匿名希望の方も大丈夫です)

さてさて本題。
音楽とはまず関係ないお話。
失敗を考える上で人類が抱える「一番大きな失敗」と言える

「大惨事はなぜ起こるのか」です。

3.11の後、日本人にとっても「大惨事」というものは他人事ではなくなってきています。
原発事故、飛行機事故、スペースシャトルの打ち上げの失敗…など、規模が大きくショッキングな事故はなぜ起こるのでしょうか?
例えば先の福島の原発は「地震」という予測不能な自然による脅威が引き金になり、例外的な出来事と考えます。
そして、人はその事故を調査し、気をつければ「次の事故を防ぐ」ことができると思っています。

それが根本的に間違っているとしたら?

というのが今回のテーマです。

大惨事とは地震のような不測の事態、または大きな事故やミス(失敗)によって起こるのではなく、実際とても小さなミスの(そして一つ一つは些細なミス)の積み重ねで起こる、とグラッドウェルは下の本で書いています。
天才!  成功する人々の法則天才! 成功する人々の法則
(2009/05/13)
マルコム・グラッドウェル

商品詳細を見る


現実の世界の飛行機は、映画のワンシーンのようには墜落しない。
エンジンは火花を散らして爆発しない。
(中略)墜落事故は多くの場合、小さなトラブルと、些細なエラー要因の蓄積の結果なのである。

エラーが生じる。しかもひとつにとどまらない。
典型的な事故の場合、人為的ミスが七つ続く。
機長か副操縦士がミスをひとつ犯しても、それだけでは問題ではない。
次に、どちらかがミスを重ねる。この時点ではまだ、ふたつのエラーは大きな失敗ではない。
だが三つ目が加わり、さらに四つ、五つ、六つ、そして七つ目のエラーが積み重なると、大惨事を招く。

(中略)さらに言えば、これら7つの過失は、まず知識や飛行技術の問題ではない。パイロットが難しい操縦技術を求められ、それに失敗したわけではないのだ。
---------
大惨事、ペンシルバニア州スマイリー島原子力発電所の事故やスペースシャトル・チャレンジャー号爆発事故などはかなり小さなミスの積み重ねであると言われています。
そのような大惨事から学ぶことは、
「私たちは最新技術によって完全な安全を作り上げることは不可能で、大惨事が起こる可能性は常にある。私たちができることは、それを認めるだけである」
ということのようです。
私たち人間は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」生き物で、常に大惨事のリスクを抱える世界に住んでいる、という現実から始めないと安全に近づくことができないし、完全な安全は手に入れることはできないと言う前提で物事を進めないとまた「第二の原発事故」を起こしてしまうのです。

-------
最後に福島の原発事故に関する記事を載せておきますので興味のある方はお読みください。


ノーマル・アクシデント-おこるべくして起こった事故~消防防災情報誌「消防科学と情報」
http://www.bousaihaku.com/bousai_img/tokusetu/genkou/shikisya_nakamura.pdf

明治大学名誉教授 中 邨   章

原子力発電について、しばしば「フェイル・セイフ」という表現が使われてきた。日本流に言うと、「安全神話」ということになろうか。原発の無謬性を説明するため、従来、原発には幾層もの安全装置が装備されていると電力会社は説明してきた。原子炉建屋は「最大級の地震に余裕を見た設計」であることが指摘され、その内部の燃料ペレットは第1から第5にわたる防護体制で保護されているというのが、企業側の主張であった。ところが、原発は安全という神話は、今回、無残にも崩壊した。
「フェイル・セイフ」という考え方について、すでに10年も前からその誤りを指摘してきた論者がいる。アメリカ・エール大学の社会学者、チャールス・ペロー名誉教授である。この人に『ノーマル・アクシデント』というタイトルの著作がある。今回の原発事故は、ペロー氏がこの著書で展開した仮設が正解であったことを示している。同氏が重視するのは、原発のもつ複雑な構造である。複雑系の原発設備では、「タイト・カプリング」と呼ばれる仕組みが働くというのが、ペロー氏の論点である。
「超緊密相互依存」とでも訳すべき表現であるが、同氏の意見によると、原発はナットやボルトなど多数の部品から組み立てられたユニットを基本にしている。ユニットが組み合わさってサブ・システムが作られる。それが原発装置の基本を形成するが、これには電源供給や汚水浄化タービンなど多数の建屋が付属する。それらすべてを含んで原発システムが出来上がる。
問題は、パーツやユニットなど、それぞれの部品は完璧に作られてきたが、原発が複雑な装置であるため、一カ所に発生した小さな不具合でもシステム全体に大きな影響を及ぼす可能性の出ることである。それぞれのパーツやユニットが相互に依存する割合が緊密に正確に作られている分、脆い部分も多くなる。電力会社では日本でスリーマイル島やチェリノブイリの事故が発生することはないと考えてきた。設備は、大地震にも十分耐えられる完璧な構造のはずであった。ところが、福島第一原発の場合、原子炉を覆う建屋の外部に設置された電源供給施設の耐震構造に問題があった。設備は海に直面し、大津波ではひとたまりもなかった。その点で、原発に「フェイル・セイフ」はあり得ない。今回の惨事は、おこるべきして起こった事故(ノーマル・アクシデント)であったと見ることができる。

音をどのように聴くか~その3

さて、最終回です。
長く書いて、後ちょっとで終わりの時に一回消えてしまいました。
かなりショック・・・

では本題。
音をどのように聴くか調べて最終的に残ったの疑問が

耳たぶや耳の形が音の感知に大きな影響を与えているのなら、耳の形によってほかの人と自分の聞いている音は違うのか?

ということでした。

まずは耳の形とは…
人間の耳介は、(結果として)集音と増幅機能を持つように複雑に入り組んだ鞍骨の凹凸によって形づくられていて、この凹凸形状はきわめて著しい個人差があります。耳介の長さ、軟骨の長さ、耳介の幅などの成長は、耳長は16~17才、耳幅 は10歳前後で男女とも成長が止まり安定期に入り、40歳前後で少しずつ成長することが報告されています。

このように、耳は指紋のように一人ずつ違い、耳介( みみたぶ)の構造が上下非対称であるこや凹凸形状により、到達した音波が耳介により反射干渉します。
先日紹介したダミーヘッドでの録音も、ダミーヘッドとよく似た頭や耳の人はよいのですが、そうでない人には、後ろが前に聞こえたりと、音の方向が変化して聞こえたりすることもあるそうです。

では、「耳がよい」というのは脳の処理能力と共に耳の形の凹凸や集音機能による違いもあるのでしょうか。
形によって違いがあるならどんな耳が最高に良い形なのか?
大作曲家や演奏家の耳の形ってどうなってるのか?

と思ってるときに買った本になんとモーツァルトの耳の図があったのです!!!
ものすごい偶然。

Mozart.gif
左:モーツァルトの左耳   右:一般人の左耳

なぜこのような図があるのかと言うと、モーツァルトの左耳は千人に一人いるかいないかの割合の変形をしていたのだそうです。
そのため、「モーツァルトの耳」は医学書で良く取り上げられました。
この変形は、ほとんど片耳にしか現れない変形で、耳が平らで耳たぶが無いなど一般の耳と大きく違います。
モーツァルトの息子にも同じ耳の変形があり、この図も息子のフランツ・クサーヴァーをモデルにしたらしいです。

家系に現れる変形ということは名音楽教師である父レオポルト、徐々に弟の才能の陰に隠れたが幼いころは傑出したチェンバロ奏者やピアニストとして認められていた姉ナンネル、「モーツァルト2世」として活動した息子クサーヴァーと考えると「耳の形による影響」はあるのかもしれない・・・とも思えるのです。
残念ながらモーツァルトの息子クサーヴァーは生涯独身で、兄カールと同じく子供をもうけなかったため、大作曲家の血筋は途絶えました。

ということで、今回の耳の形の謎について、科学的で明確な答えは出ないとは思うのですが、音楽にも耳たぶが大きい「福耳」が良いのかな?と考えていた時、モーツァルトの耳たぶがまったくないという事で、「福耳かどうかは関係ない」という事がわかったのでした。

このモーツァルトの耳の図があったのはこちら。

音楽と病―病歴にみる大作曲家の姿音楽と病―病歴にみる大作曲家の姿
(2007/11)
ジョン オシエー

商品詳細を見る


今日読み終わりましたが面白かった!
こちらの感想はまた後日。

プロフィール

ヘムヘム

Author:ヘムヘム
フルート吹いてます。
ピッコロも吹きます。

音楽や食のことなどつれづれと。

ホームページは
≫こちらからどうぞ。

★演奏依頼、レッスン(愛知県内)
申し込み、ご質問などは
hemmiayafl(_at_)yahoo.co.jp
* (_at_)を@に変換してください

または下記メールフォームへご連絡ください。

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

FC2カウンター

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブロとも一覧


ベルリンのタヒチ人

ティンパニで朝食を

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。