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田園とはじまりのお話。

7月は久しぶりに名フィルの演奏会にピッコロで出演させていただきました。
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」の演奏時間は約45分ですが、ピッコロの演奏時間は1分弱(!)です。
なので、演奏以外は超プレミアム席と思ってオーケストラの中で音楽を楽しみました。
改めて聴くと本当に素晴らしい曲だなぁと実感。
そういえばとっても昔ウィーンの講習会を受講した際、友人と共にこの田園の楽想を得たという、ハイリゲンシュタットという街に行ったことがあります。
2楽章:「小川のほとりの情景」で出てくる小川は、コンクリートで整備されてしまって少し趣が無くなってしまっているのですが、しばらく歩くと一面のブドウ畑を見晴らせる丘があったりしてとても綺麗でした。

それでは、ブログ本文も長いので「田園」を聴きながらお読みください(笑)




さて、今日は「はじまりのお話」です。
素晴らしい音楽家に出会うと、「なぜその楽器を始めたのか?」「どうしてそれをやろうと思ったのか?」という質問をするのが好きです。
村上春樹の短編小説「夜のくもざる」にそれを知りたいと思う気持ち、についての短編があります。

「ホルン」
たとえばホルンという楽器がある。
そしてそのホルンを吹くことを専門的職業とする人々がいる。
これはまあ世の中の成り立ち方としては当然のことなのかもしれないけれど、
そういうことについて真剣に考えはじめると、
僕の頭は立体的な迷宮みたいに混乱してしまう。

何故それはホルンでなくてはならなかったのか?

何故彼はホルン吹きになり、僕はならなかったのか?

ある1人の人間がホルン吹きになるという行為には、
ある1人の人間が小説家になるよりはずっと深い謎が含まれているように僕には思える。
それを解けば人生が何もかもぱらりとわかってしまうような謎が。

(後略)

ベルリンフィルで研修生として演奏していた男の子は「学校の先生が楽器を選んで渡された」と言っていました。
その先生は勝手に楽器を選んでやらせた子がその何年か後にベルリンフィルの舞台でその楽器を演奏するなんて思ってもいなかったんだろうな、と思います。

音楽家だけではなく、なにかを成し遂げた人の「はじまり」はとてもさまざま。
そして聞いてみると、世間で語られている成功後のお話よりずっとずっと面白いです。

どうしてこれを書こうか、と思ったかについては、シルク・ドゥ・ソレイユの創始者のはじまりの話を偶然読んだからです。
大きな夢をかなえる人は常識にしばられず、実際に行動する。
そしてその情熱がほかの人を巻き込んで夢が夢でなくなっていく。
世界で名をはせる「シルク・ドゥ・ソレイユ」、その「はじまり」が、本当に奇想天外なのです。

かいつまんで説明すると、

ほぼ日サイト「それは竹馬からはじまった

シルク・ドゥ・ソレイユの創始者のひとり、ジル・サンクロワ。
建築事務所に2年間勤めたのち、
ストリートプレイヤーの存在を知り、
彼らの中心的人物に会って話すことができたのです。
---
私は、彼に言いました。
「私の夢は、あなたがやっているようなことです」と。
彼は、私に何かできることがあるかと訊きました。
私は、「竹馬ができる」と彼に伝えました。
それを聞いた彼は、
自分のショーで竹馬に乗りなさいと言ってくれました。

私は、最初のパフォーマンスを終えて、
コスチュームをとったときに思いました。
「これが私の本当にやりたいことだ」と。
---
自分が本当にやりたいことに気づいたジル・サンクロワは、
ストリートで演じるグループをつくろうと決意します。
神話を軸とし、パフォーマンスと音楽で、
大きなストーリーをみせていくというプロジェクト。

しかし、それには、資金が必要でした。
政府の資金援助を得るために、
「自分が有名にならなくてはいけない!」と感じた
ジル・サンクロワは
---
私は、有名になるために、
なにか、誰もやったことのない
ユニークなことをやらなきゃいけないと思いました。

そして思いついたのが、
ベ・サン・ポールからケベック市まで
竹馬で歩いて移動するということでした。

私は、この計画について新聞に広告を出しました。
ベ・サン・ポールからケベック市まで竹馬で歩くから、
おもしろいと思う人は、
1キロ歩くごとにいくらかください、と。
1キロ歩くごとに1ドル出す、という人がいたら、
100キロ歩いたら、100ドルになりますからね。

広告を出したことで、
ケベックの新聞社が私の計画を知ることになりました。
私は、22時間をかけて、ケベック市まで歩きました。
4月にスタートして、着いたのは6月でした。

ケベック市に着く直前に、私は新聞社に電話をしました。
「まさに、いま、これから、着くぞ」って言ったんです。
すると新聞社は、
インタビューアーとカメラマンを派遣してくれました。

翌日、私は、「何者か」になっていました。
新聞の一面には私の記事が写真つきで掲載されました。

政府の人は、私に向かって言いました。
「あなたは頑固で、非常に動機の強い人だ。
 そしてあなたは本当に
 このプロジェクトを信じているようだから、
 私たちはこのプロジェクトを受け入れましょう」
そして、政府は私に6万ドルを提供してくれました。
それとは別に、ケベック市まで歩きながら稼いだお金が
1万2千ドルぐらいになっていましたから、
この竹馬の旅で、私は都合、7万ドルを得たわけです。

私はそのお金で最初のショーをつくりあげました。
メディアはその後も私たちを取材してくれました。
私は7人のアーティストと契約し、
5人の音楽家を雇いました。

---

そして、最後に一番心にのこったのがこの言葉。

「竹馬に乗ってケベックを目指したとき、
私には3人の子どもがいました。
母親はまだ生きていて、やはり、
私が竹馬に乗ることにひどく反対しました。
子どもがいるのに何をやっているんだ、
もっと真面目になりなさいと言われました。
いまさらクラウン(ピエロ)になるなんて、
おまえは愚かだと言われました。
けれども、私は、ハッピーだったんです。
私は愚かだけど、ハッピーだった。」

「簡単なことです。
もしも怖くなければ、
竹馬で100キロだって歩けます。

そこに心を向けると道が開けてきます。
道が開けるとそこに行きます。
そして怖くなくなるんです。

すばらしいショーをつくりあげるためには、
すばらしいショーになるんだということを
本当に信じなければいけません。
信じていない人には誰も説得されません。
そして、信じると、怖くなくなります。
それは、竹馬に乗るのも、綱渡りするのも同じです。
本当にできると思うと、できるんです。」

「‥‥でも、正直に告白すると、
ベ・サン・ポールから竹馬に乗って
ケベック市まで歩いたときは、
それが約3800名の従業員を抱えて
15のショーを運営するカンパニーに発展するなんて
思ってもみませんでしたよ(笑)。」

お時間のある人は是非全文読んでみてください。
ほぼ日サイト「それは竹馬からはじまった

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