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Mozart

音楽
02 /07 2013
日曜日に演奏する前に一応フルート協奏曲について解説しておきます。

モーツァルトはフルートが嫌いだったと言われています。

1778年2月14日付の父宛ての手紙の中で「我慢できない楽器(フルート)のための作曲をずっと続けなければならないと、お分かりのように、僕はうんざりしてしまうんです。」と書いているのです。

しかし、その後作曲された魔笛などでのフルートソロを聴くと、本当に心からフルートを嫌っているかは疑わしくなります。
その時の依頼主が嫌いだった、または当時のフルートが音程が不安定だった、あるいはアロイジア・ウェーバー(妻のコンスタンツェの姉で)への恋のために仕事がはかどらないことの言い訳だったのでは、と言われています。

フルート協奏曲第1番は、オランダの裕福な商人でフルートの愛好家であったフェルディナン・ド・ジャンという人物の注文で作曲されたフルート作品の1曲。注文では3曲の協奏曲と2~3曲の四重奏曲ということであったが、モーツァルトが作曲したのは2曲の協奏曲と3曲の四重奏曲、しかも協奏曲のうち1曲(第2番)は既存の作品(オーボエ協奏曲)を手直ししただけ、ということで報酬は約束の半分以下しか受け取れなかった。(ウィキペディアより)

作曲年は上記の説が良く言われているのですが、モーツァルト研究家のヴィーゼ氏はマンハイム時代ではなく、その前のザルツブルグ時代であるのでは、と言っていて、真相は定かではありません。
しかし、1777年7月26日にザルツブルグでフルート協奏曲を演奏した、という記録は残っているので、1778年に父宛に書いた「うんざり」の真意は違ってくるのかもしれません。
ま、それはフルート奏者の「モーツァルトはフルートを本当は嫌いだったわけじゃない」と思いたい希望でもあるのですが。

しかし、人間としてのモーツァルト。
作曲家としての彼が生み出した音楽はシンプルでいて深遠。
何度演奏してもその奥深さと難しさに悩まされます。

帰国してからたくさんのモーツァルトに関する本や文献を読んできました。
音楽史というより彼の人物像やその時の文化、どういったことを考え、彼を取り巻く人はどうだったのか。

一人の人間としてのモーツァルトは知れば知るほど切なくなる人物です。
音楽の圧倒的な才能と世渡りの才能のなさというアンバランスさ。

生まれ故郷のザルツブルグの大司教との不仲。
最後はお尻を蹴られてザルツブルグを去るのです。
そしてモーツァルト父子がずっと求め続けた宮廷音楽家と言う職。
しかし、どんなに旅を続けようとも叶う事はないのです。
なぜなら、時の女帝マリア・テレジアが採用に悩むイタリア・ミラノの大公(息子)に送った手紙があります。

「あなたは若いザルツブルグの人物を採用すべきかどうか尋ねてきました。無用な人間は雇わないようにしなさい。役立たずの人物を背負い込むべきではありません。物乞いは家臣に必ず悪い影響を与えます。それに物乞いは大家族(息子を売り込もうと必死だった父と姉のこと)です」

これがあの大作曲家が生きていた時代の人間模様なのです。
もう少し世渡りが上手であったら宮廷音楽家と言う夢をかなえ、幸せに生きたのでしょうか?

モーツァルトを演奏していると、彼が子供のころ、
「ねぇ、僕のこと好き?」
と聞き、誰かがふざけて「嫌い」と言うと目に涙を浮かべたというエピソードを思い出します。
未だに彼の曲を演奏する時に
「ねぇ、僕のこと好き?」
と質問されているような気分にさせるのです。
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